2026年9月19日から名古屋で開催される、トップアスリートの祭典「アジア競技大会」。開催を前に、トップアスリートからコンディショニングの極意を直接学ぶスペシャル企画を実施した。今回は、陸上競技界のレジェンド・福士加代子さんをゲストに迎え、2013年のモスクワ世界陸上で福士さんのコンディショニングを担当した杉田正明さんも参加。世界の舞台で力を発揮するためのコンディショニングやメンタルの整え方について、日本テレビホールディングス・古市幸子が話を聞いた。
<杉田正明さんプロフィール>
日本体育大学教授ハイパフォーマンスセンター長。日本のスポーツ界におけるコンディショニング研究の第一人者であり、東京・パリのオリンピックでは日本選手団の本部役員として科学的支援を行う。
<福士加代子さんプロフィール>
元陸上競技選手。3,000m、5,000m、ハーフマラソンで当時の日本記録を樹立し、「トラックの女王」と呼ばれた。オリンピックには日本女子陸上選手として初めて4大会連続出場(2004年アテネ〜2016年リオデジャネイロ)。2013年モスクワ世界陸上では、女子マラソンで銅メダルを獲得した。2022年の現役引退後はワコール女子陸上競技部のアドバイザーを務めるほか、ランイベントを主催するなど、走る楽しさを伝える活動にも精力的に取り組んでいる。
世界陸上の直前に貧血!コンディション上がらず専門家に相談

━━福士さんと杉田先生は、2013年のモスクワ世界陸上の前に運命的な出会いをされたと伺っていますが、どういう状況だったんでしょうか。
福士さん)当時私が貧血のような状態になって、専門的な先生に頼もうという話になったんです。それで、杉田先生は私の救世主みたいな感じで呼ばれてきたんです。

━━それまで貧血っぽい症状が出たことはなかったんですか。
そうですね。症状が出ても軽い感じでした。でも当時は、大きい試合を控えているのにコンディションがなかなか上がらなかったんです。
鉄もタンパクも不足…血液検査の結果から見えた貧血の原因

杉田さん)6月下旬にした福士さんの血液検査の結果がものすごくひどい数字だったんですね。それで、当時福士さんがトレーニングをしていたスイスから「先生、なんとかしてくれ」って電話がかかってきたんですよ。
貧血といっても、鉄欠乏貧血や体への強い衝撃で赤血球が壊れる溶血性貧血、栄養不足(タンパク質などヘモグロビンの材料の不足)など、いろいろな原因があるんです。
当時の福士さんは、この3つとも重なっていましたね。

杉田さん)ヘモグロビンの数値は、福士さんの普段の平均値13〜14g/dLに比べて、10.8g/dLまで落ちていたんですよ。

杉田さん)鉄も、僕はいつも「100μg/dLあると100点満点」と言っているんですが、それが37μg/dLでした。赤点ギリギリです。

杉田さん)それから総タンパクですね。7.2g/dLぐらいが福士さんの平均値で、トップアスリートはだいたい7g/dL以上あるんです。しかし、当時の結果は5.9でした。完全に栄養不足です。

━━福士さん、これには心当たりがありましたか?
福士さん)ありましたね。3〜5か月ぐらい前の状態が一番良くなかったんだろうなと思います。その当時の数値自体は良いんですが、生活リズムがひどかったんです。

福士さん)寝不足というか「寝たくない病」が始まって、食べずに遊びまくって、練習はとりあえずやるみたいな感じで。調子に乗っていたんですよね。
1か月後の大会に向けて急ピッチでコンディショニングを開始

福士さん)杉田先生は「1か月でなんとかしろ」って言われて大変だったと思います。
━━ここまで調子が悪くなっちゃうと、1か月でなんとかするのはコンディショニングのプロからしても大変だったんですか。
杉田さん)約1か月後に世界陸上のマラソンが控えてましたからね。「これはなんとかしないといけない」と思って、スーツケースにサプリメントを入れて持っていきました。
鉄、タンパク質の元になるアミノ酸、腸からの吸収を良くする酵素、医師から処方されたビタミン系のサプリメントなどですね。

福士さん)当時はコンディションが劇的に落ちていることに加えて、メンタル的にも「どうして上がらないんだろう」っていうジレンマがあったんです。監督と話しても「気持ちの問題だ」みたいな結論になりますし。
杉田先生は「こういうふうにやれば数値が上がっていきますから」としか言わない方だったので、信じてやってみようという感じでした。
筋肉の質も変化!? コンディション術で体調もメンタルも改善

福士さん)結局杉田先生の言っている通りになったので、「すごい先生だ」って思って。それから言われたことを全部やりました。トレーナーさんの話でも、見た目や触った感じで筋肉の質が変わってきたらしいんですよ。

━━さっきの話でいうと、鉄分とタンパク質が補給されたということでしょうか。
杉田さん)そうですね。鉄分とタンパク質が補給されてヘモグロビンができれば酸素も運びますから、おそらく同じ速度でもより楽に走れるようになったと思いますね。
━━食事は特に変えなかったんですか。
福士さん)食事はとにかく楽しく食べてました。「これを食べなきゃ」となるより、みんなで楽しく食べている方が吸収は良いって話を聞いていたので。

福士さん)コンディションがよくなって練習中にフラッとすることもなくなりました。スイスは日差しが強くて、前は眩しいくらいしか思っていたんですが、だんだん景色を楽しめるようにもなりましたね。

福士さん)それで「ちょっとずつ元気になってるな」って自分が実感できましたし、数値もよくなってきていたので、さらに杉田先生に対する絶大な信頼が生まれました。
やはり規則正しい生活が一番!数か月前の生活が体調に現れる

━━福士さんはこの経験で、今までの生活から見直されたことや気づいたことはありましたか。
福士さん)「規則正しい生活をしてください」ということですね。貧血でコンディションが落ちたとしても、1週間前とか最近のことを考えるより、数か月前とかもっと前に遡って「あのとき体調が悪かったな」「メンタル的に落ちていたな」と考えてもらえれば良いと思います。

━━なるほど。ちょっと前を振り返るって大事かもしれないですね。
福士さん)そうですね。1週間、2週間のせいじゃないと思います。
強い疲労感に立ちくらみ…貧血の症状を感じたら医療機関へ

━━杉田先生、福士さんが最悪の状況から回復されたことを踏まえて一般の方で参考にできることはありますか。
杉田さん)貧血って実際に数値を測ってみないとわからないところもあるじゃないですか。
でも、福士さんの場合は今までにないような強い疲労感や息切れ、立ちくらみといった症状がありましたから。あと、一番症状として現れるのは集中力の低下なんですよね。動悸は当時どうでしたか。
福士さん)動悸もあったかもしれないです。あと、やたらと眠かったですね。

杉田さん)こういう症状が出る場合は貧血を疑って、医療機関でちゃんと診断をしてもらう。そしてサプリや薬を出してもらうことが大事だと思います。
アテネの失敗を糧に!世界の舞台で活躍するためのメンタル術

━━福士さんはオリンピックや世界陸上などの大舞台で勝負をされてきましたが、いつもどのように自分の気持ちを作って戦っていたんですか。
福士さん)うちは気持ちを作る監督がいるのでね。監督が「技術よりも気持ちでいける」というタイプだったので、それに対して自分が行き過ぎないことだけを考えていました。

福士さん)はじめてのオリンピックだったアテネでは、一緒に「エイエイオー!」ってなりすぎて、2人で抱えられない荷物を持って、2人で沈没した感じはありますね。
「やりたい!」という気持ちはすごくあったんですけど、自分の体の声が聞こえなくなっちゃったんです。プレッシャーを自分にかけすぎてたのかなと思います。

福士さん)だから自分は「すごい大会だ」「大舞台だ」と思うんじゃなくて「みんなでやる世界の軽い運動会だ」みたいな感じで思っていた方が良かったです。

━━どのタイミングでそういうふうに切り替えられたんですか。
アテネで失敗してからです。当時は他人から見られることばかり気にしてたのかもしれないですね。良い格好で終わろうと思ってやっていたのが裏目に出たので。
目の前のやるべきことに集中すれば結果は自ずとついてくる

━━杉田先生はトップアスリートの方を支えている中で気づかれたことがありますか。
杉田さん)自分でコントロールできない期待や結果は、背負いすぎないことですね。先にある結果ばかり見ていると過緊張やストレスにつながります。

杉田さん)途中にある、やらなければならないトレーニングやコンディショニングに集中して準備をする。そこに焦点を当てて毎日生活していけば、自ずと結果は出ます。
━━福士さんはこの経験を経て、一般の方にはどんなアドバイスをされているんですか。
福士さん)「できないことがちょっとずつできていく喜び」ですね。それが意外と自分のものになっていくので、周りにも話せるネタになると思います。

━━プロセスを楽しむってすごく大事なのかもしれないですね。そんなお話も踏まえて次回は、頑張りすぎない「休む勇気」について深掘りしていきたいと思います。
(『コンディショニングイノベーションLab公式』より抜粋・再構成)
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